御由緒・御祭神

 武内宿禰の第3子である蘇我石川宿禰(そがのいしかわのすくね)は筑紫の凶徒を鎮める為に下向し終わりはこの地にて薨じたとか言われる。後鳥羽天皇の建久九年(1198年)肥後の国球磨の地頭職-相良三郎名頼が弟の八郎為頼に八代の北三里「鏡ヶ池」の近くに神社を造営させ蘇我石川宿禰の分霊を祭神として鎮座して以来宿禰の徳を仰ぐ人々の崇神の所になったと伝えられている。
 奈良時代肥後国八代郡に郡司があり律令制度の下八代地方の祖米が集められ郡倉に収納されていた。役所には朝廷から渡された印と鑰(かぎ)があり平常は別殿に納められ大切に祀られていた。印鑰神社の〔印鑰〕とはその〔印〕と〔鑰〕のことである。
 後に郡倉が廃止されその跡(市指定史跡八代郡倉跡)に建久9年当神社が造営され「印鑰」が神社の名称にもなった。印にゃく神社の御祭神を石川宿禰としたのは宿禰が朝廷の内蔵-大蔵の管理者であったことに由来するものと考えられる。
 いんにゃく神社春季大祭の鮒取り神事(八代市指定無形民俗文化財)は石川宿禰が凶徒平定の為この地に来られた時悪天候で海が荒れ魚が捕れず地元の若者が「鏡ヶ池」に飛び込み鮒を献上し石川宿禰をもてなしたと言う故事にならい毎年4月7日褌一つの若者が池に飛び込み手づかみに鮒を捕り御神前に供え見物人にも投げ上げる行事は今日も賑わいを伝え継いでいる。



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